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紹介

歴史

幸せな心、ワクワクする人生、鮮やかなファチョン郡にようこそ。

The map image of Hwacheon-Gun
  • 江原道 : 909.07 ㎢
  • 人口 : 23、646人(2006.3.31 現在)
  • 世帯数 : 9、777 世帯(2006.3.31 現在)
  • 行政区域 : 5邑面(1邑、 4面) 909.07 ㎢

華川郡は元々高句麗の時代には牲川郡または也尸買、

統一新羅の時代には狼川と呼ばれた。高麗成宗14年ヨクバン道の管轄であったが、明宗8年春州道が設置されることによりヨクバン道を廃止 華川郡は元々高句麗の時代には牲川郡または也尸買、統一新羅の時代には狼川と呼ばれた。高麗成宗14年ヨクバン道の管轄であったが、明宗8年 春州道が設置されることによりヨクバン道を廃止して春州道の管轄となった。

その後、朝鮮太宗13年県監を置き仁祖23年に廃県して今のクムファにあった都護府の管轄になった後、また復県されて高宗39年華川に改称されて 今日に至っている。

ウルサ条約以後の1910年、下西面と南面を下南面に、上面と西面を上西面に、看尺面と遠東面を看東面にそれぞれ統廃合し、1941年の華川ダムの 建設によって 看東面の事務所を九万里から楡村里に移すことになり、東村里と水没した泰山里の一部が 華川面に編入された。

一方、1945年まで春川郡の管轄にあった史内面は光復と同時にに共産治下のクムファ郡の管轄になったが、6.25動乱以後郡政を経ながら再度京畿 道抱川郡に属することになり、1954年本郡の管轄に入った。

収復以後の1954年、各面事務所の位置が変更され、華川面事務所は上里から衙里に上西面事務所は芦洞里から巴浦里に、史内面事務所は広徳里 から史倉里に移転、各々今日の位置に所在することになり、1964年に看東面九万里に
華川面東村支所と看東面九万里支所を設置、維持していたが1981年東村支所が廃止されながら下南面位羅里 に江南支所が設置され、華川面は 1979年大統領令第9409号により華川邑に昇格した。

また、里単位の行政区域は1954年 竜岩里から三和里が、論味里から安坪二里、楡村里から竜湖里、九万里から都宋二里、新豊里から新大里、九雲里 から長村二里、芦洞里から富村里が各々分離され、7里が増設、今日の40法定里になり、行政里は1961年以後1985年 3月まで18回にわたり41里が 増設され、現在 華川郡は1邑、4面 81里を維持している。40法定里になり、行政里は1961年以後1985年 3月まで18回にわたり41里が増設され、 現在 華川郡は1邑、4面 81里を維持している。


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